研究

実験を先導する計算化学

概略

化学は物質の性質や変化を調べる学問であり、これまでは実験的手法によって発展がもたらされてきました。しかし近年、コンピューターを使って物質の性質や化学反応が起こる様子を調べる「計算化学」によるアプローチが台頭してきました。20世紀初頭に原子・分子の挙動を支配する原理として「量子力学」が体系化され、コンピューターの出現とともに量子化学の基礎方程式であるシュレディンガー方程式を近似的に解く方法が開発されてきました1。現代のコンピューターを使えば分子系の中の電子状態を高い精度で明らかにすることができ、その電子状態をもとに化学反応が進行するときの分子の構造変化やエネルギー変化を定量的に調べることができます。物質や実験装置が手元になくても、コンピューターに分子のデータを入力するだけで、化学反応が起こるか起こらないかを知ることができる時代がやってきたのです。

ICReDDでの取り組み

計算化学はこれまで主に実験結果を説明することに使われてきましたが、全く未知の分子に対しても計算化学を使えば化学反応の可能性を調べることができます。たとえば燃料電池の触媒では主に白金が利用されていますが、白金は希少で高価であるため代替となる触媒材料が求められています。私たちは、ボロンナイトライド(BN)を金属に担持することで触媒作用が生じることを計算化学に基づき提案し、共同研究者が実験実証に成功して2、BNを触媒とする研究が世界に一気に広がりました3。このようにICReDDでは、未知分子や人類がまだ気がついていない未知の機能を開拓すべく、計算科学-情報科学-実験科学チームが連携して研究に取り組んでいます。特に、グリシンの生物学的等価体とされるα,α-ジフルオログリシンの化学合成法をAFIR法を用いてゼロから予測して合成化学実験で具現化しました4。さらにAFIR法で得られる反応経路のネットワークに分子運動の効果を取り入れることで反応経路から反応経路へと跳躍しながら化学反応が進行する動的反応描像を提案するなど5,6、反応経路に基づいた反応の見方そのものを刷新するようなテーマにも挑戦しています。

計算化学が提案し実験実証に成功した非白金酸素還元触媒BN/Au
引用文献
  1. 平尾公彦(監修)、武次徹也(編著)、「新版 すぐできる 量子化学計算ビギナーズマニュアル」講談社サイエンティフィク、224 pages (2015).
  2. Uosaki, K.; Elumalai, G.; Noguchi, H.; Masuda, T.; Lyalin, A.; Nakayama, A.; Taketsugu, T. J. Am. Chem. Soc., 2014, 136, 6542.
  3. Cao, Y.; Maitarad, P.; Gao, M.; Taketsugu, T.; Li, H.; Yan, T.; Shi, L.; Zhang, D. App. Catal. B: Environ., 2018, 238, 51.
  4. (a) Mita, T.; Harabuchi, Y.; Maeda, S. Chem. Sci. 2020, 11, 7569. (b) Hayashi, H.; Takano, H.; Katsuyama, H.; Harabuchi, Y.; Maeda, S.; Mita, T. Chem. Eur. J.  2021, 27, 10040.
  5. Tsutsumi, T.; Harabuchi, Y.; Ono, Y.; Maeda, S.; Taketsugu, T. Phys. Chem. Chem. Phys., 2018, 20, 1364.
  6. Tsutsumi, T.; Ono, Y.; Arai, Z.; Taketsugu, T. J. Chem. Theory Comput., 2018, 14, 4263.